プロフィール

「ニューヨークに残るなら会社を辞めてもらうしかない・・・」

上司からそう宣告されたのは、
まさにリーマンショック後の不況真っ直中の2009年。

日本では誰でも聞いたことのある大企業の総合職。帰国してこれまで通りの人生を生きるか、将来の安定を捨ててニューヨークに残るか・・・

思えばニューヨーク行きが人生の岐路であり、このブログを始めたきっかけでもありました・・・

「週末2日のNY旅行を100回してくるつもりで行ってきます!」


はじまりは2007年、会社の辞令を受けてニューヨークに旅立つとき、周囲の友人たちにはこう話して日本を発ちました。

もともと香港が好きで、広東語、中国語を勉強し、香港への異動希望を出していた自分にとって、ニューヨーク駐在という辞令は寝耳に水でした。

とはいえ、大学では国際関係を扱い、海外志向も強かったのでニューヨークとはいえ海外駐在ができること自体希望には適っていました。

駐在期間は短くて2年、長くて3年ほどということ。

平日は仕事で全ての時間を取られてしまっても、土日は観光気分で52週×2年間=約100日間のニューヨーク旅行だと思うとむしろ期待に胸を膨らませるようになりました。

米国大使館でのビザ発給も無事に済み、会社のみならず学生自体の友人たちにも送別会をしてもらいました。

せっかくだから向こうに行っても何かしら彼らに日々の出来事を伝えたい、それにこの貴重な経験となるニューヨーク駐在時代の記録と記憶を将来の自分のためにも残しておきたい。

2007年当時はmixiというSNSが流行っていて友人たちとも繋がっていたので、mixi内の日記という形であれば近況報告と自分用の日記を兼ねることができる。

ということで、当初はmixi内の日記という形でニューヨーク生活を綴り始めました。


そうして旅立って降り立った人種の坩堝、初めてのニューヨーク・・・、



東京で経験したことのない寒さで、到着後すぐに風邪をひいたり、



グランドセントラルターミナルに圧倒されたり。



しばらくしてmixiでは機能的な制限があったため不自由を感じ、ブログ形式で公開型にしたのがこのブログのはじまりでした。

ニューヨーク駐在生活とチャイナタウン


アパートが見つかるまでの仮住まいだった短期アパート生活を終え、最低限の家具を入れて本格的な駐在生活がスタートしました。



平日はやはり仕事が忙しく、朝から夜まで仕事漬けの毎日です。



家に帰る頃には日付が変わっていて、平日は寝るためだけにアパートに帰っているようなものでした(それは日本でも同じでしたが)・・・。



それでも少しずつニューヨークにも慣れてきて、週末は空いた時間も取れるようになりました。

せっかくだから日本で勉強していた広東語をこっちでも続けたい。

幸い、ニューヨークのチャイナタウンは全米でも有数の広東語コミュニティーとなっており、チャイナタウンの学校でボランティアで行われている広東語教室を見つけることができました。



そうしてチャイナタウンの学校に毎週末通うようになり、授業後みんなと一緒にランチを食べたり、時には遠出したりとチャイナタウンの友達の輪が広がっていき、今の妻ともその流れで出会うことになりました。



出会いと決断と・・・


平日は忙しい日々が続いていましたが、ニューヨークに当時すでに20年以上住んでいた彼女のネットワークもあって交友関係は一気に広がり、週末は充実したチャイナタウン生活を送っていました。



彼女とは基本週末しか会えなかったものの、職場が近いこともあって平日でも夜に30分弱くらい会社の外に出て夕食を一緒に取ることもありました。

そんな中、会社では昇進が決まり、早速その足で彼女に伝えました。

てっきり喜んでもらえると思ったものの、返ってきたのは予想していなかった言葉でした。

「昇進なんていいから、それよりもっと早く仕事が終わって欲しい」

残業が「常識」だった日本の会社と違い、彼女が生きるニューヨークの社会では週末にしか自由時間がないというのは非常識だったのです。

夜8時で就業時間も過ぎているのに30分弱しか会えずに会社にトンボ返り・・・。

日本では通用する常識でも、こちらではむしろ浮気を疑われてもしょうがないような非常識な言い訳にとられかねません。

たしかに会社では日本人と非日本人でダブルスタンダードになっており、繁忙期でもない限り非日本人は5時を過ぎると帰りだし、8時や10時を過ぎても残っている人はほとんど見かけません。



「亭主元気で留守がいい」という言葉のある日本では、残業して昇進して給料が増えるなら逆に喜んでくれてもよさそうなもの・・・。

ところが彼女が望んでくれたのは、昇進でも昇給でもなく、一緒にいられる時間だったのです。

今思えば、会社の肩書きや社会ステータスやお金ではなく、自分自身を見てくれている彼女の言葉を聞いたのが結婚を意識したきっかけだったのかもしれません・・・。

一方でニューヨーク生活も2年目の後半を迎え、そろそろ「帰国」を意識しなければならない時期になっていました



人生の岐路


このまま流れに身を任せていれば駐在期間を終えて日本に帰国することになる・・・。

遠距離恋愛は自分も彼女も望んでいなかったし、自分自身、遠距離で自然消滅してしまった過去の経験があったのでちゃんとコミットメントというか結婚の決断をしたかったというのがありました。

ただ、日本語が話せず、高齢で病気がちな父親と二人暮らしの彼女を日本に連れて帰るのは現実的ではない・・・。

どうにかしてニューヨークに残れないか・・・。

事と次第を上司にも相談し、給与が減ってもいいから現地職員に転籍させてもらえないかとお願いした答えが冒頭の言葉でした。


「ニューヨークに残るなら会社を辞めてもらうしかない・・・」

部下が辞めたら自分の人事考査に響く上司はもちろん辞めさせまいと説得してきます。

「年収三百万円時代と言われる中で大企業の総合職がどれだけ恵まれているのかわかっているのか・・・」

「今のアメリカの失業率の高さ※を知っているのか・・・」(※過去40年間で最も高い10%に達していました) 

「せめてケジメをとって(?)帰国してから辞めたらどうだ」(=自分の評価が悪くならないように自分の部下じゃなくなってから辞めろ)

辞めることで失うものの大きさを、現状維持でいることの安定性と幸せをひたすら説いてきました・・・。


目の前で人生が大きく二股に分かれている・・・


先まで見通せる明るく安全な道と、何があるか全くわからず先が見えない道・・・。

異動先に昇進に、社員寮や航空チケットの手配に引越の面倒まで・・・、会社が敷いてくれたレールを走るだけでいい道。自分の人生を捧げれば仕事も生活も会社が面倒見てくれる。仕事のストレスはあるかもしれないけれど、それ以外は安定していてぬるま湯のように安全な人生。クソつまらないかもしれないけど、自由と引き替えに老後まで困ることはない道。

もう一つの道は予想ができない真っ暗闇の中を進む道。真っ暗闇だけど光りを灯せばそこは極彩色の世界かもしれないし、トンネルを抜ければ日本にいたら見れない絶景が拝めるかもしれない。これまで日本で見てきた世界とは全く違う景色、人々の生活、そして味わえる自由と達成感があるかもしれない・・・。この道にはおそらくいろんな出会いや発見や苦しみや挫折があって、進むも立ち止まるも全て自分次第だ・・・。


会社の庇護から抜け出して自分の脚で自分の人生を歩く。


行こう。


人生はまだこんなにも熱くなれる。


10年の月日が流れて変わったことと、それでも変わらないこと


あれから10年・・・。

家賃や保険も面倒を見てくれる駐在員生活とは一変し、決して順風満帆な道のりではありませんでした。

ビザを取り直して新しい仕事を見つけたものの、年収は額面で文字通り半分以下になりました。

それでも日々コツコツと一生懸命頑張ってきて生活も安定してきました。


10年という月日はいろいろなものを変えるのに十分な時間・・・。

自転車にものめり込んだし、体重も20kg以上減ったし(また戻る予定)、引っ越しも何度かしたし、子供も生まれて生活も一変した・・・。

ただ自分の人生を自分の脚で歩くという意志だけは今も全く変わっていない。

自信を持って言えることはあの決断は間違っていなかったということ。

人生はまだ終わりじゃない、終わりなどない。

このブログはそんなニューヨークライフを綴っていく、リアルタイムドキュメンタリーです。

実質自転車ブログになっている点もありますが、本ブログで扱うトピックは自転車に限らず、日々の生活も含めて今の等身大の自分が経験していること、はまっていること、悩んでいること、頑張っていることを綴っています。

そんな悪戦苦闘も含めてこちらの生活をお伝えできれば、そして願わくば、このブログがあなたの気付きや決断や関心のきっかけになってくれればこれほど嬉しいことはありません。