先月、友人たちがニューヨークに来たときに、自分がロードバイクにはまるずっと前からロードバイクをやっているSくんからこんな感想を聞いた。
そのまま書くとまずいので、できるだけオブラートに包んで説明するとこういうことだ。
「ニューヨークの女性は胸の形がはっきりしている服装をしていることが多い。別の言い方をすれば無防備で、日本の女性はもっと外から見て胸がわからないような服装をしていてガードが堅いように見える。」
そのときは、「確かにここ(ニューヨーク)はおっ○い天国だね」みたいな話をしていたのだが、最近ロードバイクで走りながら女性とすれ違うときにその理由がわかってきた。別にインターネットで全世界に公開する内容ではないのだが、せっかくなので書き留めておく。
ぶっちゃけ、日本人とアメリカ人では「おっぱい」という形而上のものを形而下に具象化する際に、その概念範囲が異なるのではないだろうか。(と、あたかも真面目な話題をしているように言い回してみる)
つまり、(一部の)アメリカ人は、ぽっちんだけを隠すべき部分と認識していると思われるので、それ以外の、谷間だったりハミ父だったり、横父だったりは、「別に見えてもOK! Why not!?」と考えているに違いない。というわけで、別に他意は(誘ってるわけでも、セクシーさを意図的に強調しようとしているわけでも)なく、逆に、「隠すところは隠してるのにどこが変なの?」といったところで、無防備と言われても何が無防備なのか理解不能なのである。
一方で日本人は「おっぱい」の概念範囲が広く、谷間が少しでも見えた段階で「忌むべき(かどうかはわからないが)、隠匿すべき恥部」として認識しているのではないだろうか。
この概念範囲の違いが、単なる「オープンな性格」「慎ましやかなのが美徳」という民族イメージを越えた違いを具現化しているのであろうと小生は考えるわけである。
呼ばれた気がしたので…
返信削除女性が服装でもってその貞淑さを判断される場合、体の生の部分をどれだけ隠しているかがその指標となる場合は多いですよね。イスラム教の保守派では肌はおろか髪まで隠しますし。
そういう考えの根っこは、女性の体の生の部分が男性の性欲を喚起するという前提があるからだろうと思いますが、隠蔽の度合、言い換えれば露出の度合がどの程度であれば性欲が喚起され、どの程度であればるかされないか、の閾値問題に一般解を求めることは不可能でしょう。
しかし文化やコミュニティによってその閾値設定に差があることは、ニューヨークとカブールを比べてみれば一目瞭然なわけです。その閾値設定には当然、劣情を催す主体としての男性の存在を抜きにしては語れません。
呼ばれた気がしたので…
返信削除女性が服装でもってその貞淑さを判断される場合、体の生の部分をどれだけ隠しているかがその指標となる場合は多いですよね。イスラム教の保守派では肌はおろか髪まで隠しますし。
そういう考えの根っこは、女性の体の生の部分が男性の性欲を喚起するという前提があるからだろうと思いますが、隠蔽の度合、言い換えれば露出の度合がどの程度であれば性欲が喚起され、どの程度であればるかされないか、の閾値問題に一般解を求めることは不可能でしょう。
返信削除すみません、フロリダに行ってて返信が遅れました。
返信削除はい。指名記事?でした。
そんなこともあってか日本の女性は貞淑だというイメージがあるのかもしれませんね。
服装でいえば、こちらでよく見かけるユダヤ人などは、女性に限らず男性でも特徴的な服装をしているので一目でわかります。