葬式という文化

ニューヨークに来てからの数年は親類の不幸に遭うことはなかったが、ここ最近で立て続けに不幸が起こってしまっている。

海外で暮らしててやはり辛いのはすぐに駆けつけるのが難しい点であろう。

ちなみに葬式やらなんやらで大変なようで悲しむ間もない。

ただ逆に考えると、葬式という文化は、悲しむ間もないほど忙しくすることで悲しみに押し潰されないようにするための手段として行われているのかもしれない。


2 件のコメント :

  1. 御悔やみ申し上げます。
    確かにそういう面もあるでしょうね。
    自分の親が亡くなった時も忙しく動いていた方が気が紛れましたから。

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  2. 初心者ロードレーサー2013年3月15日 0:05

    私もちょうど先週は特に忙しかったせいか、今週になってやっとゆっくりと悲しむ時間がもてました。最近自転車が手に着かない状態で、それでも毎日ペダルは踏んでますが、密度の高い練習ができていない感じです。。。

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