欧州遠征記9日目:バストーニュの傷跡

激しかったロードレースの翌日、起床してコテージを出る。



朝早くにキャンプ場をチェックアウトして出発準備。ちなみにこのとき車の奥から紛失したと思われたデジカメが見つかった。



ちなみにこのキャンプ場にはレンタル自転車もあった。いつかまた来る機会があればもっとゆっくりしたいものである。



大会スタッフからもらったエナジーショットを飲んで寝不足&疲れた体に気合を入れる。



それだけでは足りないのでさらにエナジーゼリー。こちらも大会でもらったもの。



朝食を買うためにヴィエルサルム(Vielsalm)にあるスーパーに寄る。



さすがヨーロッパ、スーパーで買えるピザの種類も豊富である。



こちらはハム。



なんというか、ドイツでもベルギーでもハムが美味かった。



ちょこっとベルギーの自転車雑誌を立ち読み。



ちなみに普通のスーパーに空気ポンプやら自転車グッズが売っている。ここらへんはさすがベルギーというところか。



ヴィエルサルムを後にして、車は一路高速を南下してバストーニュへ。



自転車乗りにとって、バストーニュといえばクラシックレースの1つ、リエージュ~バストーニュ~リエージュの折り返しポイントである。



街中にもリエージュ~バストーニュ~リエージュのモニュメントがある。



一方で、バストーニュといって有名なのは、第二次世界大戦の激戦区であり、バストーニュの戦いの舞台となった。



バストーニュのヒストリカルセンターへ。



当時の戦車が置かれている。



晴天の下に当時の歴史を語る戦車が。というか昨日こんなに良い天気だったらよかったのに…



リエージュも、スタヴロもそうであったが、ベルギーでは世界大戦の、特にベルギーの町を守るために死んでいったアメリカ軍兵士への追悼モニュメントを多くみかけることができる。



こちらは第101空挺師団への記念碑。



第二次世界大戦当時、ナチスドイツがアントウェルペンを攻撃目標としたバルジの戦い(Battle of the Bulge)において、交通の要所であるバストーニュに侵攻。



ちなみにタイムトライアルのコースとなっていたマルメディは、このバストーニュの戦いにおいてマルメディ虐殺事件が起こった場所である。



そしてバルジの戦いで傷つき、死んでいったアメリカ兵士、アメリカ軍のベルギーにおける尽力と犠牲を讃えるために建てられたのが、マルダッソン・メモリアル(Mardasson Memorial)である。



マルダッソン・メモリアルにはアメリカ50州の州名が刻まれている。



その脇には、合衆国旗とEU旗が風にたなびいている。



建物の屋上にも上がることが出来る。



柱には当時のアメリカ軍の部隊名が。



屋上に上ると、素晴らしい眺めの景色とともに、当時の戦場が記載されている。



現在の光景と当時の戦場とを対比して見れる。当時はあの丘の向こうからドイツ軍の戦車が迫ってきたのであろう。



戦場図は五芒星の各箇所に設置されており、各方向での戦況を確認できるようになっている。



人もあまりおらず、静かで厳かな雰囲気が漂っていた。



マルダッソン・メモリアルを後にしてバストーニュの中心部へ向かう。



街中は、発展しすぎず、田舎過ぎずという感じで、ベルギーの閑静な地方都市という感じ。



街中にも戦車が。やはり大戦の爪痕を深く残す町なのだろう。



ちなみにバストーニュはベルギーのリュクサンブール州に属する。リュクサンブール州(Luxembourg)はフランス語読みで、ドイツ語読みだとルクセンブルク州。

文字通り、元々ルクセンブルク大公国の一部であった地域である。



バストーニュからルクセンブルク大公国へはわずか12km。



ということで、車はついに3番目の国、ルクセンブルク大公国へと入るのであった。




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