過去のバイクと言っても、ある意味、機材としてのその優秀さ故に禁止されたといっても過言ではなく、はっきり言って現行のダイヤモンドフレームよりよっぽど速かったりする。
その証拠に、ボードマンは3回アワーレコードに挑戦しているが、空力フレームを使った1993年の52.270km、1996年の56.375kmに対し、UCIによるレギュレーション後の2000年に規定バイクで走った記録は49.441kmであった。(もちろん、アワーレコードなので、距離=時速になる)
前々回のエントリにて、「もし結果を左右できるような新機材であれば、ロータスしかり、アピュイドセルしかり、規定違反として公的歴史からは抹殺される」と書いたが、せっかくなので結果を左右できるような機材をご紹介していきたいと思う。もちろん、現在のUCIルールでは全て違反フレームである。
まずは既に紹介したボードマンから。ロータスT108(Type 108)に乗って1993年7月23日にアワーレコードを更新。
1994年の9月2日、ツール・ド・フランス5連覇のミゲル・インドゥラインがアワーレコードを更新して53.040kmを叩き出したピナレロのエスパーダ。
1996年9月6日、ボードマンが再び更新した記録、56.375kmは、現在でも未だに破られていない。ちなみに記録更新を果たしたLotusのバイクは、ボードマンの故郷※、リバプールの博物館(Museum of Liverpool)に寄贈、展示されている。(※正確には、リバプールの西10kmにあるホイレイク出身)
ところが、2000年になってUCIが規定を変更。1972年10月25日にエディ・メルクスがメキシコシティで記録した49.431kmより後の記録を遡及的に公式記録から抹消し、ベスト・ヒューマン・エフォートという参考記録にしてしまったのは前々回述べた通りである。
皮肉なことに、1996年の記録更新時に、ボードマンはチームのスポンサーであったEddy Merckxの名前をバイクに刻んで走り、エディ・メルクス自身が記録を更新したボードマンをゴールで祝ったのであった。
1997年、ピナレロのブレードに乗るアブラハム・オラーノ。1995年の世界選手権では、2位のインドゥライン、3位のマルコ・パンターニを破って優勝。まあなんというか、長いスカートの御婦人でもまたぎやすそうなフレーム形状である。
ちなみに、ピナレロのブレードは、上述したインドゥラインのツール・ド・フランス6連覇を阻止して総合優勝した(そして2007年になって当時ドーピングしていたことを告白した)現チームサクソバンク監督、ビャルヌ・リースも乗っていた。
敢えてきつい言い方をすれば、エスパーダやブレードの変化と比べてしまうと、ここ数年のモデルは形状的には全く進化していないことがおわかりいただけると思う。まあもちろんUCIのレギュレーションが原因ではあるのだが、フレームの独創性に対するピナレロの飽くなき追求も、UCIルールでガチガチに制限された今では過去のものになってしまったのかもしれない。
ちなみに空気抵抗を追求するとリカンベントポジションに行き着くのはご存知の通り。
最高速度だけでみれば、自動車のスリップストリームを利用した時速268kmや、リカンベントでなくても急斜面を利用した時速172kmなどもある。まあ、急斜面の場合はそもそもペダルを漕いでないので、個人的には自転車の記録として認めたくないが…。
以下は自動車のスリップストリームもなく、人力のみ、かつ平地で時速132.5kmを記録したもの。
なんというか、もはや走行音が自転車のそれではない…。
とまあ話しが逸れてしまったが、競技の世界でもトライアスロンといったUCI規定の及ばないところで新フレームの発展は続いている。
CeepoのViperや、シートチューブがないKestrelのAerofoilのように、UCI規定違反を逆にセールスポイントにして売り出しているトライアスロン専用バイクもある。
自転車趣味人の1人として、ロードレース用のレースバイクだけでなく、こういった機材の発展にも目が離せないものである。
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