2012年ロードレース第2戦:Grant's Tombの洗礼

さること2ヶ月ほど前、コース紹介をしたGrant's Tombでのレースに参加した。

上着にGoreのジャケットを着て家を出発。

が、事前にこれまでの経験から所要時間を割り出していたのだが微妙に遅れそうで、ちょっと真面目に回してスピードを上げる。

時間ぎりぎりにGrant's Tombに到着。



早速受付を済まして上着を脱いでBib(ゼッケン)を付ける。



周りにいたチームメイトとも挨拶しつつ、トイレを済ませていざスタートラインへ。


■長い待機時間と寒さ

と、思ったら、まだ全然始まる気配がない



しかもGrant's Tombはハドソンリバーに面しているため、水辺からの冷たい風が強く、体が一気に凍えてしまう



こりゃまずいと思って上着を着て試走を開始。

コース紹介で取り上げたように、Grant's Tombにはロングコースとショートコースの二通りがあるが、今年はロングコースで行うとのこと。

ロングコースの場合、この教会(Riverside Church)の回りを迂回する形になる。



それにしても全然体が暖まってこないなぁと思いながらペダルを回してコースの感触を確かめる。

短いコースとはいえ、何周も試走を重ねるが一向に始まる様子ではない。

さらに、今回初めて気付いたことだが、一定以上気温が低くなると、いくらウォームアップをしても寒くなる一方であるらしい

普段ならウォームアップを10分以上続ければ体も温まって動きやすくなってくるものだが、「ウォームアップによる体温上昇」<「走行風冷却による体温下降」の状態になっているため、「ウォームアップすればするほど体が冷え固まってしまう」という悲惨な状況に陥ってしまったのである。

そしてふと見ると開始時刻を大きく過ぎた今頃になってコース上に駐車している車をニューヨーク市警がレッカー移動している…



「そんなことスタート時間の前にやっとけ!」と叫びたかったのは言うまでもない。



うーん、まだまだレース開始は先になりそうである。



このままではレースが始まる前に体が凍えてしまうと思ってしょうがなくスタート地点付近でストップ。

他の選手もそうしているように、Grant's Tombの傍の日なたで暖まる



が、全然暖まらない。

それでも他のことをするよりはましなので、できるだけ太陽に全身があたるようにして風を避ける。

このときほどローラーを持ち込んでのウォームアップを羨ましがることはなかった。

ローラーであれば走行風冷却を考えずに、日なたで思う存分体を暖めることができるだろう。

手も足も震え、歯もガタガタ鳴っている状態で待つことさらに数十分、結局開始予定時刻の1時間近く後になってやっと「Riders to the line」の呼び声がかかる

これまで30戦以上ロードレースを走ってきたが、どのレースでも始まる前は期待と不安が混じったドキドキ感があった。が、はっきりいって、レースが始まる前から「もう帰りたい」と思ったのはこれが初めてだった。体感温度で言えば、2年前の真冬にロングアイランドを雪の中走ったときと同じといっても遜色ないほどの寒さであった。




■レーススタート…

そんなこんなで寒さでガクブル状態になりながらスタートラインへ。

既に他の選手は並んでいるが、自分はいつ始まるかわからない状態で行き時が掴めなかったのでこのときになってトイレを済ます。



大人数のクリテリウムでは集団が縦に延びやすいので出だしが勝負なのだが、このときは寒さでそれどころではなく、もうどうでもいい感じで集団の後半からスタート。



市街地の道路に125人のロードバイク集団が同時に突っ込むわけである。



クラッシュは起こるし、集団もやはり縦に長く延びる。



そこでも運良くクラッシュを躱し、集団の中でついていく。

が、1周目を終えた頃にふと見ると、既に先頭は目で見えないほど先に行ってしまっている

一つの大きい塊が中切れする状況と違い、長く延びきったゴムが方々でブツ切れする状況になっている。

自分はブツ切れした選手たちに追いつき追い越すを繰り返す。

が、レース開始前からの寒さ問題が解決したわけではないので、やはりレース中であっても体はどんどん寒くなってくる

結局最終的には4、5人の選手と小集団をつくって固まって走る状況に。



そのまま走り続けるが、先頭との差が縮まっている感触があるわけでもなく、10周ほどして鐘が鳴らされる

まだ既定の距離ではないので先頭との差が広がったことによる強制退場なのだろう。

ということで次の周で終了して停止



と、「あんたはピットインなのか、DNFなのか?」とマーシャル(係員)に聞かれる。

あんた達が鐘鳴らして止めたくせにそんなこと聞くなよと思いつつ、「鐘が鳴らされたから止まったまでで、DNFなんだろう」と答えておく。

こちらとしてはやっと帰れるという気持ちが強く、DNFで終えてしまったショックを味わう暇もなく、震えながら家へ帰ったのであった。

結局、帰路でも寒さは収まらず、普段なら自走で帰るところだが、地下鉄で帰らざるを得なかった。

それでも地下鉄を待ってる間の地下にいるときにすら、歯が震えていたのだから、このときの寒さは厳しかったのだろう。

ということで、レース時の防寒は今後気を付けていきたいと思う。

という決意は1ヶ月後のニュージャージーのヒルクライムで失敗に終わるのだが…。


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