あらためて自転車について考える
前回の6カ月ぶりのライドでまったく出力が出なかったことで改めて自転車通勤の影響の大きさを認識した。
というよりコロナの影響の大きさという方が正確かもしれず、毎朝晩乗るのが当たり前だった日々がなくなり、一気に日常が変わってしまった。
こう考えると自転車通勤というのは自分にとって精神的な気晴らしも含めてかなり影響が大きかったことが改めて浮き彫りになり、自転車に乗る意味もまた考えさせられる。
おそらく自転車乗りというかロードバイクにはまった人が大体行き着くパターンは、まずロードバイクにハマリ、パーツをいじったりして、そのあとレースなどに出るという流れだろう。
その過程はここで説明するまでもなく弱虫ペダルを読んでもらえばお分かりになると思う。
そして自分もそのパターンを辿った一人である。
それがだんたんと自転車に乗ること自体の楽しみよりパフォーマンスの向上を追い求める感じになり、その結果、まさにタイラーハミルトンが著書シークレットレースで書いたような流れになった。
Ferrari turned our sport - a romantic sport where I used to climb on my bike and simply hope I had a good day - into something very different, something that was more like a chess game. I saw that the Tour de France wasn't decided by God or genes; it was decided by effort, by strategy. Whoever worked the hardest and the smartest was going to win.
ロードバイクがもたらしてくれるロマンティックな体験が、体重と出力による数値と計算の世界になってしまった。
特にヒルクライムはその最たるもので、Best Bike Splitというサイトを以前ご紹介したように、自分の体重、自転車の重量、出力、勾配や当日の風速といった数値があれば物理的に正確なタイムが事前に計算できてしまう。
FTPがわかっていればペース配分も算出してくれて、この勾配区間で何ワット、次の区間で何ワットというシミュレーションに従ってペダルを踏めばFTP内での最適なタイムを出せる。
つまりレースと言うよりは、事前に目標タイムから逆算して、目標数値に自分の体重や出力を合わせていくことでベストタイムを出すという詰め将棋的な世界になってしまった。
実際自分もそのシミュレーションに従って体重を減らし出力をキープしたことで、ヒルクライムレースでの年代別優勝もすることができ、「パフォーマンスを追い求める道」でそれなりの結果を出すことができた。
ちなみに以下がホワイトフェイスヒルクライムのときにBest Bike Splitをもとにまとめた、各体重と出力の組み合わせのタイムシミュレーション。10kg痩せて5分タイム短縮をシミュレートしており、実際に2017年の1時間2分から2018年は57分のタイムとなったので、ほぼシミュレーションをなぞっただけのレースとなった(表内はヒルクライム区間のみのタイム)。
なぜなら日常の中のこの世界では努力が報われないことの方が多いから。
特に絶対的かつ客観的な評価基準が存在しない会社組織の中なんてそんなもんで、努力が報われないことなんて日常茶飯時。
身近なところでいえば子育てもそうで、誰のおかげで勉強ができるようになったかとか、誰のせいで言うことを聞かなくなったとか、本質じゃないところで夫婦の間で言い争いをすることもある。
そう考えると努力が結果に結びつくというのはある意味快感でもあり成功体験でもあり、その報酬系を脳が味わうと麻薬のように魅力的なものになってくる。
そしてどんどんパフォーマンス向上がエスカレートしていき、元々趣味だったはずの自転車がレースありきになって、自転車に乗る理由も変わっていってしまったのかもしれない
その先にあるもの
一方でその努力とパフォーマンス向上を続けていったとしても、突き詰めていくと天井もあって壁に当たってしまう。
結局趣味である以上、どれだけ仕事やプライベートの時間を削って修行僧のように練習しても、その先に何が待っているのかと言うとSo what?と言われてしまう。
成長期を過ぎた30代以降のホビーレーサーにとって、トレーニングやパフォーマンス向上を突き詰めていった先にあるものって何なのだろうかと考えると、少なくともそれは頂(e.g. ツールドフランス出場)にはつながってはいないのである。
まあ趣味なんだからそれでもいいと思うが、ロードバイクやスポーツにはまる人って大抵、凝り性でどんどん趣味にはまっていってしまう。
趣味がエスカレートして他の人から見たらちょっと熱心になりすぎなレベルになり、周りの人から引かれてしまうこともあると思う。
やってる本人からすればひたすら努力して高みを目指していくということに快感や目的や達成報酬を感じているのだが、そうでない人(身近な場合は自分の配偶者や恋人など)からは理解してもらえないということも多々ある。
自分もその一人で、誰にも迷惑をかけないなら趣味でひたすら突き詰めていけばいいと思うんだが、子供が生まれたり家庭のことや教育のことや義父の介護やら、いろんな日常的な生活が関わってくる中でどこまで時間を割いて突き詰めていくかとなるともはや自分だけの問題ではなくなり、時間をどう使うか誰のために使うか何のために使うかということも考慮して、その優先度を改めて考え直す必要が出てくる。
初心を思い出すということ
最近子供がドラえもんが好きなので一緒にドラえもんを見ることがよくある。
特にうちの場合は広東語、英語が第一、第二言語になっていて日本語が身に付いていないので、日本語のリスニングに楽しみながら慣れるという点でも一石二鳥になることを目論んでいる。
その中で出てきた秘密道具は初心に帰るという薬、ハジメテン。
簡単に解説すると、のび太が学校に行くことが嫌になるが、入学当時の新鮮な気持ちを思い出すことで初心に帰るというストーリー(実際には薬ではなくタイムマシンで当時の自分を見て改心する)。
それを見たあとで改めて考えてみると、レースにはまって修行僧のような状態をしている時より、今よりよっぽど太っていても自転車に乗り始めた頃の方が純粋にロードバイクという趣味を楽しんでいたのかもしれない。
ただ単に「目の前にある綺麗な自転車に乗って外を走りたい」、それだけのために正月の雪が降り積もる中ロングアイランドを一周したものである。
あの頃は自転車を写真に撮るだけで楽しんでいて、趣味が高じてこんな拙い動画まで作っていた。ユーチューバーが「なりたい職業ランキング」に入る7年前にこんな動画を作っていたと思うと隔世の感がある。
そう考えると今見つめ直したい時に読むべきは弱虫ペダルよりサイクル野郎なのかもしれない(いや、弱虫ペダルも自転車に乗ることの楽しさを解いてくれてはいるのは分かっているんだけれども)。
結局は趣味なんだからレースだろうがファンライドだろうが楽しんだもの勝ちなんだと思う。
プライベートや家族や仕事やいろんなものとひっくるめてバランスを取った上で楽しめるのが一番の目的であり目標なんだと思う。
長々と考察してきたが、一言でまとめると「ドーナツライドでいいじゃないか」ということである。
楽しんで走って、腹が減ったら楽しんで食べる。
そんななんでもないような日々が生き甲斐になりモチベーションになるのだろう。
なんでもないようなことが幸せだったと思う(民明書房刊『露雄努刃威苦 第3章』)
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