フロリダ州、ディズニーワールドとユニバーサル・オーランド・リゾートの旅 vol.2 ~ディズニーが嫌いだったワケ~

私は元々ディズニーが嫌いだった

厳密に言えばディズニーランドが嫌いなのではなく、ウォルト・ディズニー・カンパニーのビジネスのやり方が嫌いだったのである。

ディズニーランド自体は小学生の頃に東京(厳密には千葉の)ディズニーランドに行った以来行ったことがなく、これといった思い入れもないのであり、東京ディズニーランド自体は好きでも嫌いでもない。

この話を理解するのには、2002年に放送されたNHKスペシャル「変革の世紀」を見ていただくのが一番早い。実際、自分がウォルト・ディズニー・カンパニーを嫌うようになったのは、この変革の世紀によって事実を知ったからに他ならない。


なお、ウォルト・ディズニー・カンパニーの著作権問題等についてはWikipediaのこちらのページを熟読いただきたい。



著作権の歴史や、ミッキーマウス保護法とも呼ばれる著作権延長法の経緯について上記Wikipedia等の内容を読んでいただいたという前提で以下書く。


そもそものポイントは、「人の著作を利用したくせに、自分の番になるとそれを拒むのはフェアじゃない」ということである。

もともとディズニーは、著作権が切れた、または著作権がないような過去の童話や小説、伝承を流用して映画を作り利益を上げてきた。

1800年代中頃に発表されたドイツのグリム童話にある『白雪姫』を元に1937年に映画を作成。1836年に発表されたデンマークのアンデルセン原作の童話『人魚姫』を元に(その結末等を大幅に改竄して)『リトル・マーメイド』を公開。

いわばウォルト・ディズニー・カンパニーは、著作権が切れてパブリックドメインに還元された他人の著作物を二次、三次利用することで利益を得てきた会社である。


一方で、1928年に発表されたミッキーマウスの著作権が切れるときになって、それを良しと思わずに政府に働きかけて著作権期間を延長していっている。自分は他人の著作を利用して甘い汁を吸ったくせに、他人が自分の甘い汁を吸うのは許せないというわけだ。

もし、ディズニーが他人の著作をほとんど利用せずに、独自のストーリーのみで勝負してきたのであれば、ミッキーを保護しようとしても理解できる。しかし、自分がパブリックドメインの恩恵を受けておきながら、自分の著作がパブリックドメインになるのを防ぐためにそのルールを変えるというのはフェアじゃない

確かにウォルト・ディズニー・カンパニーは、これまで本の中にしかなかった童話に動きを与え、アニメーションにして、子供たちに幅広く受け入れられるようにした。その功績は大きいと思うし、そのように過去の遺産を新しい形で発展させていくことこそ、著作権が切れる意義であり、パブリックドメインの役割であると思う。だからこそ、ミッキーも新しい時代に、新しい人々によって発展させられていくべきではないのかということだ。

マジックキングダムのところで書こうと思うが、エレクトリカルパレードの最後にアメリカ国旗を持ってくるほどアメリカの国を愛するウォルト・ディズニー・カンパニー。一方で、「著作権は一定保護期間(当時は15年)後に切れて、パブリックドメインに還り、人類の共有財産として利用されるべきだ」と言ったのは、そのアメリカ合衆国憲法の生みの親であり、三代目合衆国大統領でもあるトーマス・ジェファーソンである。

ジェファーソンの「人類の共有財産」としての著作権の在り方を無視して、商業的な利益囲い込みのために法律まで変えさせるウォルト・ディズニー・カンパニーの姿勢に対しては今でも批判的に思っている。

が、今回ディズニーワールドを訪れることで、ウォルト・ディズニー・カンパニー側への理解もできるようになった。

ということで今後のエントリで今回の内容を振り返っていきたいと思う。


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