長らく更新が止まってしまっていたがなんとか年内に書き終えねばということで日本旅行記を再開させていただきたい。
経緯から申し上げると、今回日本にはCycleOps P1を持っていって走ったため、P1の導入記事を先に掲載しておきたかったのである。
ということで日本に到着した翌日。
葛根湯を飲んだおかげか、風邪の状況は少しはよくなったように思える。
まずは2年ぶりのココイチ。ニューヨークにはゴーゴーカレーはあってもココイチはないので貴重。
こんな調味料まで出ていて時代の流れを感じる。
スーパーでサプリメントも見てみるが、やはりサプリ系はアメリカの方がよっぽど安い。
朝3時に起きて出発。
途中サービスエリアで飲み物を買う。
この自販機のバリエーションの豊かさは日本ならでは。
駐車場手前では渋滞が発生していたが、なんとか予定時間に会場に到着。
なんとバスで乗り付けている団体さんがいたが、その後開会式?のときに台湾から参加している人々だと知る。
日本に帰国してしまったSさんと久しぶりに再会し、出走準備を進める。
P1を装着したTrek Madone 6.9 Pro。そう、3年前のヒルクライムでフレームにヒビが入り、エポキシ接着剤で補強した機体である。まだ十分走れるので今回日本に持って来て活躍してもらうことに。
天気は微妙な感じだが、KOH富士山はスタート地点までの移動で30分ほど上り基調の道を走るということでローラーでのアップはなし。
これから富士山に登るのかと思うと感慨深い。
まずは会場からスタート地点まで移動。
年齢グループ毎に移動を開始していく。
自分は第二出走グループで、まずはスタート地点までの移動で先頭付近まで上がって行く。
やはり驚いたのはその人の数。
ニューヨークではファンライドの参加者はすごく多く、4万人の自転車が走るFive Boro Bike Tourを始め、数千人単位で人が集まるファンライドはあるが、本格的なレースとなると参加者は一気に少なくなり、数百人が走るようなレースは稀。(写真はFive Boro Bike Tour)
以前乗鞍を走った人から「後続でスタートすると渋滞が発生し一苦労」ということを聞いた事があり、さすがに先頭はおこがましいが、先頭から3列目くらいを確保。
途中で合流したSさんと近況を話しながらスタートを待つ。
そしてレース開始。
まずは先頭集団についていく。
前は5人ほどの集団で明らかにオーバーペースだがまだ最初ということでついていってしまった。
今回のレースはこれまで経験したことのない長丁場ということでペース管理としては反省点。
そうこうしているうちに数分前に出た第一出走グループの後方に追いつく。
が、そんなペースについていけるはずもなく、早々に自分のペースに落として淡々と踏み始める。
コースとしては平均勾配6.9%で起伏も少ないということなので単調なものだが、それでもやはりきつい箇所、緩い箇所があるのでちょっとしたきつい勾配を上手く処理していく必要がある。
慣性を殺さないように注意しながらダンシング等々でトルク管理をしてつないでいく。
先頭は随分先にいってしまったが抜かれた人を数えていくとまだ一桁台。
約中間地点の高鉢ゲートに差し掛かるところで、同じグループの人から「すいません、今何分ですか?」と聞かれたので時間を教える。
サイコンを忘れちゃってということだったが、サイコン忘れてこの位置にいるとはなんという強者。サイコン頼みでペース管理している自分としては真似できない。
高鉢ゲートを過ぎてもまだ半分あるのだが、そこからは補給地点が2箇所もあるので精神的にはきつく感じない。
1本目の水は2口飲んで残りは頭からかけてリフレッシュ。
2本目はゴール手前だが余裕がなく、手に持ったペットボトルが重荷に感じるほどで、1口飲んでさっさと捨てる。
後半になってくるとかなりばらけてくるので、前も後ろも人がいないという状態になることも。
時折抜かれる相手も第三出走グループの人だったりして、そもそも数分後に出た差を縮めて抜いてきているのでペースが異なっており、ついていくこともできずに自分のペースを保つ。
途中、ギアが噛んだのかメカトラブルで「ちくしょー」と叫んで止まっている人も。
エキノックスでもこんな人いたなと思いながら、万国共通なこの反応を微笑ましく?感じながら先を急ぐ。
さらに、ダンシングをした瞬間に脚が攣ったのか「いたたたたた」と叫びながら苦しそうに悶絶の表情を浮かべているおっちゃんも。
おっちゃんは自分が抜いて後ろに遠ざかっていっても、まるで北斗の拳が如く、ひたすら「いたたたたた」と叫び続けており、まるで救急車が走り去るようなドップラー効果で「いたたたたたたたたたたたたたた」の声が段々後方で小さくなっていった・・・。
いきなり現れた反面教師を参考にすべく、ここで攣ったら終わりだと思い知る。
前後には同グループの人は見えず、ここまで来たら抜かれる心配もなさそうなので無理をしないようにダンシングを避けてくるくる回していく。
何度目か数え切れないほどのつづら折りを越えてやっとゴール。
ゴール後は脚が攣りかけてゆっくり休む。
が、真の地獄はここからであった。
下りはそれぞれの出発時間に分けてグループで下るのだが、山頂は寒くて凍えそうだったので、休憩もほどほどに第一グループで下る。
しかし下っている最中にどんどん雨が酷くなっていく。
もちろん泥除けはつけていないので水を跳ねて尻が冷たい。
雨と寒さと風邪・・・。
せっかく騙し騙しでなんとかレースの間はなりを潜めていた風邪がブリッ返してしまう。
ゴホゴホ咳をしながら雨の降る寒い中を1時間近く下り続ける。
自走での下りが禁止されていて自動車で下れるマウントワシントンやエキノックスのヒルクライムが天国に思える。(写真はエキノックスヒルクライムの下山風景)
はっきりいってこれまでの自転車ライフで3番目に入るくらい辛い時間がこの下りであった。
ボロボロになりながらやっとのことで麓に到着。
麓は霧も晴れ、雨もほぼ止んで、気温も暖かくなって生きる心地がついた。
Sさんと記念撮影してリザルトを確認するとカテゴリ9位。入賞ならずで残念であった。
とはいえ、今回のレースはニューヨークでの準備、自転車発送から始まって、初めての日本でのレース。
大きなトラブルもなく、無事にレースを走り終えたということで、今後同様の遠征レースを企画していくことを考えれば、その試金石として大成功と言える結果だった。
ただ、香港から持って来たこの風邪は尾を引くことになり、結局この旅行中ずっと風邪を引き続けたまま、家族にもうつしてしまい大変な爪痕を残していったのであった。
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