汕頭ウルルン滞在記第7回:墓参りに行ったら~想像を~絶していたぁ~



今回は同行者の墓参りにご一緒することに。

汕頭新市街の中心部から知り合いの車に乗って1時間ほど。



大陸の南に突き出た海門という地域に行く。



土地勘がなく、潮州語も喋れない自分はただついていくしかなく、連れていかれた場所は「国家AAAA級旅游景区」に指定されている海門蓮花峰という観光名所。



ちなみに「国家AAAA級旅游景区」とは中国がランク付けしている国内の観光名所のことで、1Aから5A(A~AAAAA)まである。

5A(國家5A級旅遊景區)は、万里の長城や、九寨溝、黃龍、桂林、張家界武陵源といった世界遺産クラスであることを考えると、4Aである海門蓮花峰もかなり上位ランクであることがわかる。


万里の長城、




九寨溝、




黃龍、




桂林




張家界




さらにこの海門蓮花峰は、汕頭八景という汕頭を代表する8つの景色のうちの1つにも数えられている。

と、話しが観光名所に脱線した通り、自分も観光名所に到着して「あれ、墓参りに行くんじゃなかったの?」と疑問に思う。

「うん、墓参りに行くんだよ」と言われながらついていくと、海門蓮花峰の入口で入場料を払ってゲートの中へ入る。




「なんだ、やっぱり観光名所に入るんじゃん」と思って園内へ。




国家公園内は整備されており、椰子の木が南国気分を彷彿とさせる。



園内には大きな宋の時代の詩人の像があり、




海沿いには観音像が海に向かって微笑んでいる。



大きな石碑がランドマークになっている砂浜もあり、




自生している竹薮の木陰に入り、



丘の上から太平洋を眺めると海からの風が体を流れていき気持ち良い。




さらに歩いていくと、天地を喰らうで出てきそうな中国な雰囲気溢れる城門らしきものもあり、ここは中国大陸なんだということを感じさせる。




観光気分でついていくと園内の奥、裏道のようなところに入っていく。




小高い丘のようなとこを上っていくと周りにはバラック小屋らしきものが。




同行者によると、仏教の占い的なもので金を稼いでいる占い師のようなものらしく、確かに占ってもらってるっぽい観光客のような人もいるが、はっきりいって浮浪者のホームレス小屋にしか見えない・・・。




途中で道から外れ、小屋の間を抜けて道なのか瓦礫なのかわからないような草木の中を文字通り分け入って進む。




と、目の前に飛び込んできたのは・・・墓だった。




もともと墓参りに行くと言われ、なぜか観光名所の国立公園に入って観光しだしたと思ったのだが、やはり墓参りだった。


なぜ墓地でもない国立公園の中に個人のお墓があるのかわからずに聞いてみたところ、こういう事情であった。


日本のように墓が一箇所に集められている墓地とは違い※、中国では(土地があるからか)見晴らしのいい場所に個人的に墓を作るようである(※もちろん墓が集まった墓地もある)。

そして第二次世界大戦が終わる数年前、太平洋を眺められる見晴らしのいい丘の上にお墓を建立。

第二次世界大戦が終わって1949年10月1日に中華人民共和国が成立。

その後中国も文化大革命なり紆余曲折あって、現代に入って発展を遂げて観光地の整備に力を入れ始める。

そして半世紀以上の時が流れて2001年、この海門蓮花峰一帯が、広東省で最初の国家AAA級旅游景区として指定を受ける。

さらに2016年1月、国家AAAA級旅游景区に格上げとなった。


ということで、最初に墓ありきだったのだが、いつの間にかそこが観光名所かつ国立公園の園内になってしまい、墓参りにいくために国立公園の入場料を払わなくてはいけなくなったということである。

観光名所の国立公園に指定されるくらいだから、「見晴らしのいい場所」という点では申し分のない選択眼だったのだが、逆に場所が良すぎたためにこんなことになってしまったのだろう。

人間の住居と違い、墓というのは一度そこに建ったら余程のことが無い限り動かせないので、70年以上同じところにあったら周りにもいろいろ建つし、環境も変わってしまう。

数十年前は周囲に何もなく、海が見渡せる場所だったそうだが、今は木々に遮られてまったく見えない・・・。




墓のすぐ横にはホームレス小屋があるし、周りは樹木に囲まれ、中でも見上げるほどに大きく育った樹の幹は墓と一体化し、おそらく根もすでに墓と融合しているんだろう。



ここまで融合してしまったら墓を移動するのも難しいだろうし、むしろ何十年も一緒に連れ添ってきた樹と離すのは可哀想な気もする。

蒸し暑く、虫も飛び交う夏、佇むお墓を呑み込むように生い茂る樹木、周りに建てられた小屋の中で今を生きている人々。

自然の力、生命の息吹を見せ付けられるとともに、時が止まったままそこに在るお墓との対照的な光景が印象に残った。

変わるもの、変わらないもの、しみじみといろんなことを考えさせながら墓を後にしたのだった。

出口に向けて歩いていると同じような状態になっているお墓を発見。

一見すると下のお墓が上の石碑とセットのように見えるが、こちらもお墓は公園ができる遥か前に建立され、いつの間にかお墓が観光名所の中に埋まってしまった状況らしい。



日本だったら立ち退き交渉やその分の補償などありそうなものだが、そのまま公園を作ってしまうというのはさすが中国というところか。ただ墓所の管理がしっかりしている日本と違い、好き勝手に墓を作ってしまえば(墓に連絡先でも付けておかない限りは)事前通知もままならないのでどっちもどっちなのか。とはいえ、日本ですら戦後のドサクサに紛れて土地をゲットした話しがあるくらいだから、そもそも国が出来る前に墓があったのなら権利関係等々も最早経緯は不明なのかもしれない。


ふたたび竹薮の木陰で休みながらボーっとする。




自然と融合しているかのようなお墓を思い出す。

70年以上も埋まっていれば樹木とも一体化するし、そうして土に還っていった方が生命の循環としても正しい道なのだろう。

自分もいつかは必ず死ぬが、こうして自然に還っていくのならそれはそれで摂理なのかもしれない。

いつまでも止むことなく吹き抜けていく風を浴びながら、遠く異国の地で頭の中に流れているのは「千の風になって」だった。







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